かあちゃんの愛〜母乳育児編〜
鬼もうち。調和へと向かう世界。
今日は節分。お馴染みの『鬼は〜そと〜、福はうち〜』
実はこれ、南から侵略しにやって来た民族(天皇家)が、もともと日本に住んでた先住民族(倭人)を追い払うための呪術的な言霊なんですって。
『日本』とは侵略してきた人たちが後につけた名前で、『大倭-ヤマト-』とは先に住んでた大和民族の名前。だから全く別物。
侵略してきた民族が大和民族を追放するため、季節の変わり目である節分の日に、この言葉を使って度々封じ込めていた、ということみたいです。
もともと住んでいた大倭は、争いを好まず和を以て貴しとなす、そんな民族だったみたいです。歴史の裏を知ると、私たちはなんて酷いことをご先祖様(大倭)にしていたんだ!って思いますね・・・。
それと別に侵略者が悪い訳でもなくて、それで子孫が受け継がれ文化が発展して、結果的に今私たちが生きている。そう捉えれば何も悪くないと思うんです。
そもそもなんで鬼は悪いみたいな構図になってるんですかね?鬼さん何したんですかね?もともと鬼も神様なのに、かわいそう。
それで言うと日本人なら誰でも知ってる『桃太郎』
「ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」と書かれたこの絵は、日本新聞協会広告委員会が「しあわせ」をテーマにし最優秀賞に輝いた「めでたし、めでたし?」という作品。
桃太郎は鬼を退治して幸せになったかもしれないけど、残された鬼やその家族はどうなっただろう・・・。なんかハッとしますね。桃太郎=正義、鬼=悪という構造にすることで、物事を単純し、そこに競争や対立を生ませる。これが、今の世の中の最たる原理。
物事は『面』ではなく『球』のようなもので、見る角度によって捉え方が全く変わってくる。その時代背景や環境、一瞬一瞬、個人の感覚や感情によって、その時の『正しさ』というものは変わってくる。この世に絶対悪というものは存在しない。あるとすれば、それは私たちが生きていく中で知らず知らずのうちに作り上げてしまった、その時々での固定観念だ。
この根底にある原因が、『分ける』という行為。分けることで、対立や孤立を生む。
そこに善悪をつけることで、憎しみや争いが生まれる。
分別のない世界。
良いも悪いもない世界。
善と悪を超えた世界。
あなたと私、違うけど同じ。
水も土も、宇宙のあらゆる生命は同じものから出来ていて、
一粒のお米の中に、全てのつながりと宇宙を感じて、
呼吸をするたび、自然と繋がり与えられていることを感じる。
最近では、子どもたちのお遊戯で桃太郎をする時に、さいご桃太郎と鬼が許し合って仲直りして終わるっていうオチもあるみたい。なんて素敵なエンディング。今の子どもたちは、大人よりも魂レベルがずっと上なんだろうな。
これからは『福はうち、鬼もうち』
鬼も福も手を取り合って仲良くしましょ♪
世界は愛と調和へ向かっているね。