"doing"から"being"へ 〜ありのままの“わたし”を生きるというギフト〜
2017.2.15(sat)
大阪で行われた、とあるイベントに参加しました。
その名も『Give give GIFT フェスティバル』
ほぼ初対面であったにも関わらず、はじめましてな感じは一切なく、
長年連れ添った仲のような、居心地の良さを感じた。
一人一人の存在とその表現によって、見事に調和した空間が生まれた。
喜びや嘆きを分かち合い、“ありのまま”を感じ合った。
みんなキラキラしていた。命が輝いていた。
ただただ幸せで、私が“わたし”でいることを実感した日だった。
イベントの趣旨でもある、“ギブ&ギブ=being”
・・・知らないキーワードになんじゃそりゃって感じですか?
このイベントを通して、僕なりの見解を綴りますね。
これからの未来のヒントが詰まってます(自画自賛)笑
ギブ&テイクとは
ギブ&テイクとは、与えること(give)に対して対価を受け取る(take)
つまりお互いに交換し合うこと。
お店に行けば、あれだけお金を払ったから、これくらいのサービス。とか
人間関係だと、あれだけしてもらったから、これだけお返ししよう。とか
私たちは日常生活の中で、暗黙的にそれ相応の価値を交換し合う。
サービスやモノに対して報酬があり、それがあるから経済は成り立っているし
それが真摯な気持ちで、相手のことを想って行う行為ならとても素晴らしいことだ。
でも日常生活では、そうはいかないこともある。
あれだけしてもらったからこれくらいは返さなきゃな…とか
逆に、あれだけしてしてあげたのに、これくらいしか返ってこないの?とか
一歩間違えると、自分が思っていた見返りが返ってこなかった時に『あれ?』
ってなって、それが関係性を崩すことにもなりかねない。
『〜したんだから、何かしてくださいね』という“価値を交換する”思考が
当たり前になってしまっている。
ギブ&テイクからギブ&ギブへ
続きを読む話を聴いてもらったよ
久しぶりの東京〜
家族平和、世界平和、お母さん整体、パパ塾、在るがまま、“わたし”に還る、共感コミュニケーション、マインドフルネス、ドネーション、ギフト、
そんな言葉がキーワードです。
聴いてくれたみんな。
ありがとう!!!!!!
”家族の愛”を紡ぐという使命
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鬼もうち。調和へと向かう世界。
今日は節分。お馴染みの『鬼は〜そと〜、福はうち〜』
実はこれ、南から侵略しにやって来た民族(天皇家)が、もともと日本に住んでた先住民族(倭人)を追い払うための呪術的な言霊なんですって。
『日本』とは侵略してきた人たちが後につけた名前で、『大倭-ヤマト-』とは先に住んでた大和民族の名前。だから全く別物。
侵略してきた民族が大和民族を追放するため、季節の変わり目である節分の日に、この言葉を使って度々封じ込めていた、ということみたいです。
もともと住んでいた大倭は、争いを好まず和を以て貴しとなす、そんな民族だったみたいです。歴史の裏を知ると、私たちはなんて酷いことをご先祖様(大倭)にしていたんだ!って思いますね・・・。
それと別に侵略者が悪い訳でもなくて、それで子孫が受け継がれ文化が発展して、結果的に今私たちが生きている。そう捉えれば何も悪くないと思うんです。
そもそもなんで鬼は悪いみたいな構図になってるんですかね?鬼さん何したんですかね?もともと鬼も神様なのに、かわいそう。
それで言うと日本人なら誰でも知ってる『桃太郎』
「ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」と書かれたこの絵は、日本新聞協会広告委員会が「しあわせ」をテーマにし最優秀賞に輝いた「めでたし、めでたし?」という作品。
桃太郎は鬼を退治して幸せになったかもしれないけど、残された鬼やその家族はどうなっただろう・・・。なんかハッとしますね。桃太郎=正義、鬼=悪という構造にすることで、物事を単純し、そこに競争や対立を生ませる。これが、今の世の中の最たる原理。
物事は『面』ではなく『球』のようなもので、見る角度によって捉え方が全く変わってくる。その時代背景や環境、一瞬一瞬、個人の感覚や感情によって、その時の『正しさ』というものは変わってくる。この世に絶対悪というものは存在しない。あるとすれば、それは私たちが生きていく中で知らず知らずのうちに作り上げてしまった、その時々での固定観念だ。
この根底にある原因が、『分ける』という行為。分けることで、対立や孤立を生む。
そこに善悪をつけることで、憎しみや争いが生まれる。
分別のない世界。
良いも悪いもない世界。
善と悪を超えた世界。
あなたと私、違うけど同じ。
水も土も、宇宙のあらゆる生命は同じものから出来ていて、
一粒のお米の中に、全てのつながりと宇宙を感じて、
呼吸をするたび、自然と繋がり与えられていることを感じる。
最近では、子どもたちのお遊戯で桃太郎をする時に、さいご桃太郎と鬼が許し合って仲直りして終わるっていうオチもあるみたい。なんて素敵なエンディング。今の子どもたちは、大人よりも魂レベルがずっと上なんだろうな。
これからは『福はうち、鬼もうち』
鬼も福も手を取り合って仲良くしましょ♪
世界は愛と調和へ向かっているね。